舟岡山のページ


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舟岡山は大昔、手取川がもっと高い位置を流れていた時、削り残された山だ
と思われます。(手取川は、最初、舟岡山の東側を流れていて、その後、現在
のように舟岡山の西側を流れるようになり、浸食がすすんだと思われます。)

縄文時代には人が住んでいて、舟岡山の北側、青年の家周辺には縄文時代
の遺跡があり、住居跡や土器が発掘されています。昔は3棟の建物が復元
されていましたが、今は北側の1棟だけが残っています。

白山比メ神社は、最初、舟岡山に建てられ、その後、手取川河畔の十八河原
へ移り、洪水で現在の古宮公園のある場所へ、そこで火災にあって現在の場
所に移ったそうです。(不思議なことに「カシミール3D」で確認すると、舟岡山か
らは白山が見えません。なのに、この地に白山さんが建てられたのは、神の
依り代となる岩があったからではないかと考えるのですが、皆さんはどう思わ
れますか?)舟岡山には白山比メ神社発祥の地の記念碑があります。

その後、舟岡山は城(砦?)として使われ、一向一揆衆が使っていたころは、
北の金沢御坊と南の鳥越城を結ぶ重要な拠点になっていました。一向一揆が
柴田勝家らに滅ぼされた後、前田利家の家臣、高畠定吉が入り、一向一揆の
残党に備えるために改修されたようです。その後、一国一城制により、廃城と
なりました。現在は、その頃の石垣などが残っていて遊歩道があります。

道は草が茂ったり倒木がある部分もありますが、青年の家から本丸口までは
楽に行けるようになりました。東口から四の丸→展望台と東口から三の丸→
北口はなんとか行けます。北馬場方面と三の丸方面は道が途中で分からなく
なったりしますが、比較的平らな杉林なので、迷っても何とかなると思います。

2020年7月22日の様子(北口→展望台→本丸口→東口→北口)

2020年9月29日の様子(北口→展望台→南曲輪→馬出門→北馬場→北口)

2020年10月4日の様子(北口→展望台→馬出門→大手口分岐→北口)

2020年10月15日の様子(北口→展望台→北口)

2020年10月21日の様子(大手口→三の丸方面→展望台→本丸口)